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本「にしきのなかの馬」

やえがしなおこ作 つかさおさむ絵 童心社

ちょうじゃの娘あや、母親が死んで泣いてばかり。父親が馬をプレゼントしてくれる。歩き始めたばかりの子馬。朝晩仔馬の世話をする。大きくなる三郎。あやと馬の三郎はいつもいっしょ。結婚しようとしない。父親は怒って三郎を売り払う。西の戦地に連れて行かれる。三郎を探して山で一夜を明かすあや、夢に、錦を織ってください、私は現れます。三郎が告げる。にしきを織ると、空を埋め尽くすほどの弓矢の中を突き進む三郎の姿が現れる。錦を開くたびに、三郎の姿を見つけ、生きていてくれる。ほっとするあや。戦争は東にまで及び、敵が攻めてくる。錦を開いても三郎はいない。逃げる屋敷の人々、村の人々、村の一大事に錦を抱えて逃げるとはけしからん、にしきは谷底に落とされ、追いかけてあやは身を投げる。そのとき、一頭の馬があらわれてあやを背に乗せ天へと走り去った。

という、おかしなところがいくつもあるおはなしでした。
ちょうじゃの子供がなぜ、朝晩一日中馬の世話をするのか。下男とか使用人がするのではなかろうか。結婚しないから売り払ったその後、結婚話など出てこない。結婚しない。なぜか。売り払った意味がない。ちょうじゃの娘がにしきをもっていたからとなぜ嫉妬されるのか。金持ちなのはわかっているのに。出会って愛して離れ離れになって死んで再び一緒になるというロマンチックなための道具立て、必然作りがわざとらしい。長者の娘というのがそもそもあやの妄想かもしれない。あやが使用人。他人から望まれる自分という妄想が生んだ結婚話。現実は、だれもあやを気になんてしない、石ころ。ごみくず。三郎もあやを懐かしくなんて思ってない。みんな妄想。突き落とされて死んじゃった。こっち。




DVD「ベンジャミンバトン」
ベンジャミンバトンを借りた。165分とか。何日かに分けてみようと思ってみてたら全部見てしまった。見やすかった。死にかけのおばあさんが娘に語る形式。タイタニックみたい。そういえば同じ女優だ、と思って見終わったけどずいぶん顔がちがったな、ケイトブランシェット。タイタニックはケイトウインスレット、別人だった。設定は無駄に奇抜で、老人で生まれて赤ん坊で死ぬという、見た目が逆というベンジャミンが、えー、だからなんだろう?老人から赤ん坊に逆送りになっても赤ん坊のときの記憶が生まれたすぐの老人の姿の彼にあるわけではないし、結局同じ。老人でも若い子と遊べる、若者でも中年女と愛せるなんていうことを言いたいのか。それもある、でもちがう。ベンジャミンはずっとデイジーが好きだった。姿があれなので、身を引いたり遠くに行ったりするけど、会いに来るときはいつも「会いたかった」と言ってくる。いつでも、いくつになって姿がどうでもデイジーが好きなのだ。デイジーもベンジャミンが好きだ。若返りする特殊な体のせいでデイジーの元を去るベンジャミンでも現れて、また去って、去らなくてもいいんだけど去ってまた会うという設定がロマンス。別れてもずっと好き、あなただけが好き、ずっと待ってた。待っててくれた。迎えに来てくれる彼を夢見るわたしにおすすめ。ブダッドピットの美男子ぶりには抗えない。デイジーがバレエのプロデューサーといちゃいちゃしたいときにベンジャミンは会いに来てすげなくされて、「だって急にくるんだから!」とデイジーに怒られて、「喜んでくれると思ってた、そうじゃなかった」しょぼんとするブラピが、いい。美男子いい。


ものすごくフィッツジェラルド臭がすると思ったらその通りだった。ギャツビーみたい。あの女もデイジーではなかったか。小説だと、どれだけの長さを一人でいても、そこは1行で書き終わって、会っているときだけ登場人物たちの時間は流れる。会っているときだけが生きているとき、ロマンスロマンス。いいなあ。60になって少年になって80になって赤ん坊になるのが変。どうやってそうなるのか地球外生物。でも赤ちゃんになって好きな女性に抱っこされて死ぬっていいね、夫婦はどっちかが赤ちゃんになれば老老介護ができるんじゃないか。
by kumaol | 2015-06-02 21:19 | 雑記