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本「馬の世界史」

中公文庫「馬の世界史」本村凌二

紀元前何世紀といった時間軸、チグリスユーフラテスイベリア半島とかの地理、マケドニアとかスキタイとか匈奴とかの固有名詞に拒否反応を起こしてなかなか読み終わらなかった。読み始めるとおもしろい。次に本を開くまでが時間が空くという遅ペースで時間がかかった。馬が食糧ではなく移動手段として人間に利用されるようになって、文明は固有民族の単発ではなく世界史というつながりを持つようになった。情報の伝達が急速になり人間や物品が多量に早く運搬され戦車や騎馬の戦術は軍事力を大きく変化させた。馬は、国家や社会のあり方そのものにも重大な転換をもたらした。
馬のおかげで土地と土地が繋がった。馬を戦力として使う民族が現れた。戦争は大きな疲弊と破壊をもたらすが文明を発達させる。馬のおかげで動力という概念が発達し工業化が始まる。今の世界で馬のおかげでと思う場面は少ない。経済動物と蔑視されているかもしれない。馬が人類をここまで運んできた歴史を紹介している。
-----------目次-----------
プロローグ--もし馬がいなかったら21世紀はまだ古代史だった。

1章 人類の友
哺乳類は4000種ほどいたが人類が飼いならすことができたのは10種類くらいである。4000のうちの10しか飼いならせないのは少ない、動物の身になってみれば家畜になるのがしあわせかどうかわからないが、人間社会に適応できる資質をそなえていたと考えるのが自然だろう。与える食糧が簡単に手配できること(笹しか食べないパンダなどは飼いにくい)、好奇心旺盛で従順に見えること。さらに馬は切歯と臼歯の間に隙間がありハミをかませて手綱で操縦できる。人にとって馬は奇跡の動物である。
野生の馬はアメリカ大陸では絶滅し旧大陸でも絶滅寸前だった。狩の対象でしかなかったからだ。馬は食肉だった。どこかのものずきが飼いならそうとして家畜化が始まったのか、始まった場所は馬の生息地と人の居住地が接するあたりか、羊やヤギなどすでに家畜になっていた動物の群れを監視する乗り物として馬が利用されていた形跡もある。

2章 馬と文明世界
戦車の誕生。馬と戦車は革命的であり、牛にものを引かせることしかしらない先住民はアーリア人の敵ではなかった。また、イザヤ書には馬を頼るのはヤコブの民の堕落であると戒められた。馬をあやつる武人という新しい階層が既存の価値観を損なう危惧が表れている。馬と戦車は新しい階層の出現のみならず「速度」という概念を生んだ。世界の広がりの始まりである。領地拡大の帝国主義が出現する。

3章 ユーラシアの騎馬遊牧民と世界帝国
Ⅰ 西方ユーラシア
Ⅱ 東方ユーラシア
4章 ポセイドンの変身 古代地中海世界の近代性
5章 馬駆ける中央ユーラシア
6章 アラブ馬とイスラム世界
7章 ヨーロッパ中世世界と馬
8章 モンゴル帝国とユーラシアの動揺
9章 火砲と海の時代 近代世界における馬
10章 馬とスポーツ
エピローグ--われわれは歴史の負債を返済しただろうか



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3章 ユーラシアの騎馬遊牧民と世界帝国
Ⅰ 西方ユーラシア
馬の最古の家畜化は黒海北岸のデレイフカ遺跡のあたりで始まったと考えられている。馬に乗ればより早くより遠くまで移動できる、徒歩によるより多数の家畜を管理することがわかるとわかれば騎乗の技術は注目せざるを得ない。騎馬は家畜管理の基本技術として発展していったと推測される。そのうち牧畜のみを行う遊牧民が誕生する。スキタイ人と接したアッシリア軍は勢力を増しエジプトまで覇権を拡大した。最初の世界帝国である。騎乗の習慣がひろまると育成も盛んになる。アッシリアにつづくペルシア帝国では王の道と呼ばれる国道を築き情報の伝達に馬が使われた。戦時のみならず平和時でも馬は革命であったのだ。
Ⅱ 東方ユーラシア
中国はたえず騎馬遊牧民の脅威があったために強力な一国にならざるをえなかった。戦法は戦車から騎兵に移行する。馬と生死をともにするわけだから馬の世話は大事とされ馬の資質を見抜くことができる達人は伯楽と呼ばれる。
中国統一をなしえた秦は、もともとは馬の扱いのうまい邑であった。戦争に不可欠な軍馬を提供する部族でありそれをよりどころに台頭してきたのであろう。兵馬俑坑は始皇帝の築いた帝国の威容を偲ばせる。
匈奴と東胡、漢と匈奴など史記を基にした紹介や、汗血馬の話などがある。馬種の違いで戦力に違いが出ることが認識された。

4章 ポセイドンの変身 古代地中海世界の近代性
ギリシャ人は海を走る船に高原を走る馬の姿を照らし合わせた。海の神が古くは馬の姿だったのはそれゆえであろう。ギリシア人は馬をよく活用したとはいえないがクセノフォンは「馬術論」を書いている。馬を扱う場合の基本方針は、馬を自然に動かすということにある。クセノフォンは驚くほど馬の心理に気を配っている。
「馬がこわがるときは叱らずに落ち着かせ、何もこわくないことを教えてやれ」「騎乗者の指示を上手にやったときには喜ぶところを触って誉めてやれ」と忠告している。
マケドニアのアレクサンドロスは、父王のもとに献上された仔馬で、跳ねたり飛んだりするために殺せと命が下ったその馬をなだめてすぐその背にまたがってしまう。馬がみずからの影におびえていることに気づき馬を太陽の方向に向けただけであった。プケファロスというこの馬はその後17年間彼の愛馬となる。アレクサンドロスは世界制覇の遠征に出たのである。
ローマ帝国では戦車競技が大人気だった。ローマの平和は海上輸送を発展させ空前の繁栄をもたらした。が、近代社会への萌芽とはならなかった。経済社会が奴隷制に依存しており資本主義の概念は育たなかったからだ。アメリカ古代文明は乱暴に結論すれば馬を知らず馬を利用できなかったために帝国支配の基盤が築けず侵略者により滅亡したのである。

5章 馬駆ける中央ユーラシア
ローマ帝国をも脅かした西ゴート王国を建てたゲルマン人の大移動はなぜおこったか、遊牧民フン族の脅威にさらされたからである。フン族は残虐非道であるとされた。シルクロードの発展も馬のおかげである。遊牧民族の馬は小さい。食糧を持って移動せずそこらへんに生えている草を食べるからだ。地中海方面の馬は大きい。教科書では中国の視点からの騎馬民族がさわられる程度なので騎馬民族は悪役のイメージだ。柔然、突厥など馬を持ち統率者の下に統治外交軍事戦略が繰り広げられた。遊牧民族は統率者がなければ簡単に分裂する国家でもあった。

6章 アラブ馬とイスラム世界
乾燥した熱い地方では痩せて足の長い馬、寒い地方ではずんぐりして足が太い。馬はその地方その用途により淘汰されてアラブ馬が誕生したのだろう。コーランの中で馬は至上の祝福と呼ばれている。
「この世の幸福、富裕、報酬は馬の前髪についている」「宗教の勝利のために馬にエサをやる者は神に大いなる貸しをなすのだ」「馬に費やされた金銭は神の目からすれば喜捨のようなものである」「馬に与えられた麦の一粒一粒すらもよき仕事の帳簿に刻まれる」動物愛護というよりも戦力としての馬を評価しているように思う。馬の恵みによってイスラム勢力は征服を成し遂げるのである。
十字軍とトルコ軍の戦いは騎馬戦であっても異なる戦い方だった。十字軍は重い鎧と重い槍、馬も重量馬になる。トルコ軍は軽装で馬もこまわりがきき弓を主武器とした。トルコ軍はもてる馬の数が決まっているので繁殖ができる牝馬がほとんどであった。十字軍は牡馬が主であったので発情して敵方の牝馬の群れに投じる馬が多く十字軍は困り果てた、というエピソードがある。ヨーロッパとイスラム世界との出会いは馬産に大きな影響を与えた。

7章 ヨーロッパ中世世界と馬
イスラム軍の優秀な騎馬軍との遭遇はキリスト教勢力にとって優秀な専門騎士の集団の結成が必要急務とされた。戦争で勝てば王は騎士に土地を与える。騎士は自前で武具と馬を用意する。封建制である。馬を持たなければ騎士たりえない。武装した騎士を乗せて高速で駆ける、歩兵隊を威圧できる体高に恵まれている、戦場の騒音に動揺せず平穏である、多少の外傷なら我慢する、攻撃にあってはひるまない。このような資質をそなえた馬はなかなか見出せないし自然のままでは育たない。よって馬産事業は中世社会にあって主要産業のひとつとなったであろう。
イベリア半島でレコンキスタの気運が高まった頃。エルシドは少年の頃名付け親の司祭から馬をもらえることになった。選んだのはありふれた馬だったため司祭は「パエピカ」(愚か者)と叫んだと言う。少年はそれを愛馬の名前にした。(Wikiではバビエカとなっている)イベリア産のアンダルシア種と言われている。
農耕馬が盛んにならなかったのはなぜだろうか。牛はくびきをつけるのにつごうのいい盛り上がった肩がある。馬は農耕をさせるよりも速さを生かしたほうがより利点があった。馬を農耕で使うのはもっぱら畑から畑家から畑の移動手段としてであり、人の居住地が村落となり集落社会ができていった。戦場にも農村にも馬の姿が見れるようになった。

8章 モンゴル帝国とユーラシアの動揺
ヨーロッパは世界の主役であるから得体の知れない新興勢力は野蛮であり悪者であるというのが世界史だ。モンゴル人の襲来は神が下した罰であると恐怖されていた。モンゴル帝国は100年ともたなかった、人類史の中では地震のようなものにすぎないと指摘されている。同時代の中国の武将(名前記載なし)が語ったように「帝国は馬の背に築かれたが、馬にまたがって統治することはできない」といいたいのである。
だが、欧米中心史観や中華思想を取り除いて俯瞰すれば、世界史におけるモンゴル帝国の役割は重要であったといえるのではないか。タタールの平和の時代に巨大な商圏ができあがり近代世界の資本主義社会の前例となった。異文化と異言語が飛び国際社会が形成された。ユーラシア規模における遊牧世界・農耕世界・海域世界の共存関係の成立を見て初めて世界史が成立したと主張する学者もいる。馬に騎乗する遊牧民が船に乗り海を越えたとき、世界史が姿を現したのである。

9章 火砲と海の時代 近代世界における馬
ルネッサンス期には獣医学への関心が高まり「馬医学」「馬に関する書」など書物が残っている。馬術への関心はさらに高い。クセノフォンの薫陶をうけたナポリの貴族クリゾーネは著書「馬術の規則」の中で完全な馬術家についてこう語っている。
「第一に、いかにしてまたいつ自分の馬に配慮するか。第二に、いかにしてまたいつ馬を矯正するか。第三に、いかにしてまたいつ馬をいつくしみ重んじるかを知ることである。」
獣医学と馬術に関心が高まるとともに最良の馬種を獲得しようと馬産が盛んになる。銃や火薬の出現で重い甲冑は不要になり軽快な馬が求められるようになる。その種の馬は強いばかりでなく軽快で敏捷で優雅でもあった。このような軽種馬のよりすぐれた馬を育種していく努力がやがて18世紀にサラブレッドを生み出すことになる。馬車の発達。車輪を工夫することで曲がったり高速で走れたりサスペンションの工夫も進んだ。馬車が快適にはしれるために道路が整備されていった。

10章 馬とスポーツ
イギリス人が世界各地に移住するにつれ競馬はさまざまな地域に広まっていった。特にイギリス植民地であったところ、アメリカ、アメリカの影響力の強いラテンアメリカ諸国、オセアニア、南アフリカなどでは、現在競馬は民間団体によって運営されている。対して、フランスドイツイギリスなどヨーロッパ列強及び日本などでは、軍馬や実用馬の品種改良を目指す装置として制度化された。なので、これら諸国の競馬は国営かそれに準じるものになっている。

エピローグ--われわれは歴史の負債を返済しただろうか
「馬は戦車馬、騎乗場として登場した。馬は人間を大地から解放し広大な行動範囲と自由を与え新しいすぐれた戦闘技術を提供し、かくして馬の訓練と制御、騎乗者と征服者の勇気、動物の美に対する感覚、こういったものと一体となった支配者の高揚した精神を生み出した。」(ヤスパース「歴史の起源と目標」)
犬が最良の友であるなら、馬は最良の奴隷であったともいえるだろう。馬は美しさを損なうことがなかった。人間から敬愛されるもっとも高貴な奴隷である。もし馬がいなかったら、馬の速力と体力はなにによって補われたのだろうか。インターネットの時代はいつの時代になっていたのだろう。馬はその苦役ゆえに長い歴史の中でわれわれに多大な恩恵をもたらした。人間はこの高貴な動物に歴史の負債を返済したといえるだろうか。
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エピローグの部分は感傷的であるが執筆の機動力なのであろう。各章より印象に残ったあたりを抜粋してみた。「ちょっと休憩」的なコラム的な文章を主に抜粋したようである。本文はもっと世界史らしい固有名詞にあふれている。人と馬の成し遂げてきた歴史のうねりに酔いそうだ。馬と、真摯に向かいたいと思わせる本だった。




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by kumaol | 2015-11-23 17:00 | 雑記