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適当にどうぞ

フロアウェットシートにしては薄いなと思いながら使っていたのが眼鏡をかけてちゃんと読むと「ロイヤルゼリーエキス配合フェイスシート」顔用だった。フロアシートで顔を拭くなら抵抗あるが床を顔用で拭いても床は悲しくないだろう。毎日掃除をしなくて、しなければいけないという義務感の圧迫でますます嫌いになり、やってやり終われば楽しいのだが。毎週一回はやろうと決めてもその日になると気が重くなる。やらなくていい、やりたいときだけやろう、と開き直ったら、朝出かける前にパッとほこりの目立つところだけ掃除機かけたりウェットシートですいすいやったり、重い気持ちがなくなってしまった。それでも毎日はやっていないが、十分に満足である。自分のペースで掃除ができるようになったということだろう。頻度を決めて、回数に縛られるといい気分でいられなくなる。
蹄跡を走らせることができなくてぐねぐねさせたりユータンさせたりしてしまうときに「ちゃんと走らせないとあとできつい調教をしなければいけなくなる。怒らなければいけなくなる。かわいそうでしょ、あなたがちゃんと乗らないと馬が怒られるんだ。かわいそうでしょ!」と叱られることがあった。何度か。速足でおしりがぽんぽん飛び跳ねて、「馬の背中が痛くなるんだから、飛び跳ねるな」と怒られることがある。どちらも精神論的な叱り方である。あたしは依存心が強く自信がないので、精神論的叱咤をされると「あわわあわわすみませんごめんんさあいああでもでいないどうすればでいないううっ」緊張してなにをやってるかわからない状態になってしまったものだ。特に次回そうなったらこうしようと決めていたわけではないのだが、今回また同じ方向から注意をされたときに(馬を怒らなければいけなくなるお前のせいで)、怒られるのは馬なんだ、あたしじゃない、ならいいや。どうぞ。という気分になったのだ。世の中に嫌気がさして開き直っていたからといえよう。世の中に嫌気がさしたのはあいかわらずいつまでたってもへたっぴだからだ。それで、どうぞどうぞってきもちになったら、なんか、うまくいった。緊張するとますますからだに力が入る。適当に不真面目な気持ちでからだのリラックスを優先させるとうまく乗れるかもしれない。注意されて萎縮したらだめだ。よい結果を出すことが目標なのだから、自分の性格や考え方に固執しないで、チェンジしてみる。馬がかわいそう、なのはかわいそうなんだけれどもかわいそうと思うと萎縮してより悪い結果しか出せないので、どうでもいいやと開き直る。結果、よくなる。考え方変換を覚えた。
by kumaol | 2016-03-28 21:07 | 雑記