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使わないのに買ってしまう

認知症ぽいけど認知症という名前がなかったころ、毎日ネクタイを買って帰っていた。ばかみたい、おかしい、何本もあるのにとずっしりとハンガーにかかったネクタイを見せるのだがその時はふうんと返事をする。だがまた買って帰る。退職し認知症の診断をもらって家にいたときは毎日シャケの切り身を買って冷蔵庫に入れていた。毎晩焼き鮭だった。不要なものでも気になってしかたなく買わざるを得ないどうしても買ってしまう、というのはどこかの脳になにかの信号が受信されてしまってるんだと思う。
靴を買う人がいて、ないきのなんだかんだあぢだすのなんとかかんとかと詳しいのだが箱のまま箪笥の上に積み重ねていくものだからあぶなくてしょうがない。大きい箱が下ならまだいいのだが細い箱が下だったりするから賽の河原の石積みを思い浮かべる。そして「靴がないから買いたい」というのだ。頭大丈夫?
あたしにもそういう傾向はある。食べ物はほんとに同じものしか買わない。同じものしか食べないからそれでいいのだがそれでいいのか。最近は犬グッズにはまり、使わないのにおむつを各種取り揃えてしまった。これは、これから使うかもしれないし最適なものがどれかわからないので準備として正しいといえるかもしれない。ペットシーツがまだ600枚あるのにまた600枚くらい買ってしまった。洗えるトイレシートも買ってしまった。排泄が気になってしょうがない。服も年末セールで安くなっているのを見ると3枚、また3枚と一度に買ってしまう。高齢犬は体温調節がうまくいかず寒さが命取りになるのであたたかくしてといわれるともっと、もっと、服を買わなければと思ってしまう。これはちょっとあぶない。100金のセリアトダイソーも週1回以上は必ず立ち寄って購入してしまう。手袋とかネックウォーマとか、そしてそれがあたたかくて便利なものだからまた通ってしまう。手袋を脱ぐときにファイテンのスリーリングブレスレットが一緒に脱げてしまい、二回までは気づいて大丈夫だったが三回目にはなくしてしまった。探したけどない。手袋をぬぐときに一緒にぬげるというのを一度も覚えられなかったことがあぶない。
長さを測れないことが多々あり驚いている。鐙の長さは左右同じにと言われるが、いつも違うといわれる。ちゃんと穴の数を数えてと言われ数えるとどこからどこまでの数を数えていたのかわからなくなってしまう。棚卸で商品の数を数える時も何回数えても前回と同じ数にならない。で、外された。折り紙でかどとかどをきちんと合わせなさいと言われて合わせようとしているつもりでずれている。いい加減な性格と言われていたが一所懸命やっているつもりでふざけていたんだろうか。ふざける、というのがそもそも先天的な劣化なんじゃないだろうか。真面目に人の話を聞いて誠実に対応しようと心がけているはずが余計な一言をはさんでうさん臭く思われたりあきれられたりする。余計な一言はサービス精神なのか人の気持ちを考えない自己主張なのかいわゆる独善なのか、なぜ踏みとどまることができないのか不思議である。
性格を決めるのも感情を決めるのも脳である。脳の支配を拒否する脳の行動(性格を変えようとか考え方を改めようとか)は自制心とか適応能力とかであるが、自制心が強すぎると身動きできないし適応能力だけだと風に吹かれるレジ袋である。自分の考え方が正しいかどうかわからない。買ってばかりいる、みたいなあきらかにモノとして後に残ることをしているとおかしさが自覚できるのだけど、どうせ必要になるからといえばそうかもしれないしかわいいから増えてしまうといえばかわいいなら仕方ないとも思え、いい加減な性格だからなんでも大丈夫になるのかいい加減でもないし性格の問題でもないものなのか。不安になるのであった。

by kumaol | 2016-12-04 21:17 | 雑記