2016年 09月 27日
マンガの馬
膝の位置が肩を抑えてしまっている。座ってる。まあ変よ。
ユリウスの馬の画像は見つからず。あれも絶対変なはず。汽車に追いつく馬がいるかっての。死ぬって。
青池保子先生の馬
アシガールの若様と馬は背中だけ
なかよしにも馬に乗って登校するマンガがあったんだけどあまりにもひどいのでいっそひどくないんじゃないかと思うくらいひどかった。上手だとおかしいところが気になるけどへたすぎるとこれでいいんだと思考停止する。昔の漫画家が書く足はほっそい。
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伊達さんが離婚発表してた。驚いた。伊達さんのブログを読んでて半月板損傷の手術をしたあとのリハビリどかすごく大変そうだったので、大変な時期につらい決断だったと同情する。(同情というのはえらそうでよくない感情と思うときもあるが気の毒に思うのほうがいいのか悩む)。これからの長い人生をよりよくするためにという前向きな態度を公表したのはよかったけれどしばらくはつらい時期だろう。耐えて再びレベルアッフ゜してほしい。子供がほしかったができなかったとまとめには出ていたが本人がどこかで語ったのか近しい人からの伝聞なのかソースは定かでない。掲示板などの知らない人の子供ができなくてつらいという投稿にはほしい気持ちがわからないと思うのだが有名人で知り合いでもないのに長く活躍を見守っている気持ちになっていると子供ができなくてつらいという気持ちにも同情する。できないことに同情するのではなくてつらい気持ちに同情する。テニスをしていた知人が、伊達さんのことを「日本の宝だ」と言っていて、宝とまで?そこまでじゃないんじゃないのと思ったことがある。当時はグラフやサバチーニなどの華やかな選手に目がいっていて関心がなかった。スポーツは世界共通ではあるが、地域性や人種に注目するのは意味あることだ。日本人として日本人の選手がなぜ強くなれたのかに関心をもつことは自分の可能性の意識を高めることにもなるし、強くなってくれたことは喜ぶべきことだったと思う。引退後の社会貢献(テニスキッズやCM出演など)もテニスプレーヤーの今後を明るく照らしていた。現役では戦績で希望の星となり一線を退いてからも社会のためになる仕事をしている、スポーツ選手はすごいと思う。学生のころはスポーツがすごいとか思ったことはなかった。運動神経ゼロだったので、いやでしかなかった。運動会のかけっこはびりしかとったことないので(すべての出場かけっこで必ずびり)前の晩はかっこっよく一等をとれますようにとれますようにと祈りすぎて眠れないくらいびびっていたが休むと単位がもらえなくて卒業できないと脅されてたが休んでもよかった。卒業できなくてもどうってことない。できない運動で他人に見られるのはつらかったがスポーツ自体を嫌いにならずに見て楽しめるようであったのは幸運だった。大坂なおみが朝のワイドショーに出ていて、「なんやねん」とつっこむところと言われていたが、日本語がわからない彼女に対してただオオサカの苗字なだけでいじられて気の毒だった。テレビ番組はつまらないことをする。
スポーツができることは頭がいいよりも一段ひくいみたいな価値観だったが最近は違う。頭も一つの才能、スポーツも一つの才能。子供の時は勉強ができることや学歴が高いことが一番よいという価値観から、大人になれば有名会社で給料の高いことが一番の価値観になっていた昭和の時代から多様な価値観の現在になって本当によかった。知っていることだから昭和の話や昔はから始まることを書いているけれども昔に戻りたいと思ったことは一度もない。昔より今のほうが全然いい。未来の自分のためにという考え方は自分がいくつになっても有効なはず。
by kumaol
| 2016-09-27 23:02
| 雑記