2016年 10月 05日
本「しあわせなおうじ」こみねゆら
つばめ、お前だったのか。
王子のなまりの心臓は溶けなくて、つばめの死骸と一緒にゴミ山にほっぼられる。
子供の時に幸せな王子を読んだときはなにが幸せなのかわからなかったがわからなければダメな子というプレッシャーで分かったつもりになっていたが正直言うと大人になってもわからない。なさぬ善よりする偽善がちらと頭をよぎったが、それはちがうだろう。心の貧しい人は幸いである天国はその人のモノであると似通った幸福だろうか。生きてる時は人々の苦しみがわからなかった、像になって見渡せると人々の苦しみや悲しみが分かるようになった。ここまではわかる。宝石や金を配りなさい。ここからがわからない。けど、全員は救えなくてもひとりかふたりか少数を救えたならそれは善。王子の美しい像がみすぼらしくなると落として燃やしてしまう市民。王子が助けようとした市民とは別な生き物のような心無い市民である。気持ち悪さの最たる原因はつばめをこきつかうところ。つばめは越冬の仲間たちとはぐれて王子の足元で一晩を過ごしてから追って行こうとしている。偶然の一休み、それが魔の一休みとなってしまった。すかさず王子が用事をいいつけるのだ。かわいそうなつばめ。雪が降るようになり息絶えるつばめ。つばめは脇役、哲学は王子の行いにある。自分の身を捨てて姿を隠して奉仕する、キリストの教訓だろうか。美しいと思えないのである。しないよりはいいけれど。いいのかな。宗教的献身は政治に携わらずに現状に対する冷し水にしかならない。後手後手な繕いを礼賛してはだめなんだ。時代遅れであるしいい話とはいえない。つばめはよい。
by kumaol
| 2016-10-05 22:01
| 雑記