2017年 09月 27日
本「コンビニ人間」村田紗耶香
世界とちがうわたし、なんて恥ずかしくて言えない題材だったが最近は普通に人気だ。繊細なあたしだったり異物のわたしだったり難しいのは世界の描き方でここでは結婚と子供と正社員というわかりやすい方向であるが断定すぎて乱暴な二極である。風呂敷を広げるよりは短編でわかりやすくしたほうがキャラが面白く見えてよいのだけれども、例えば序盤の小鳥の話などは、かわいそうだからという感受性に頼った世界と異物の対照であるが、現実味に欠ける。小鳥の死骸をもってきたら、病原菌のかたまりだから置きなさいというのが大人なのでは。かわいそうとか気持ちが理解できない恵子をあらわすためのエピソードが嘘くさい両親や大人たちを目立たせてしまった。喧嘩に強いものはためらいなく金属バットを振れる奴とウシジマくんで言ってた。スコップを振り下ろせる恵子はなくなって困るものがないのだ。こうなったらこうなるという次が想像できない子供なんだろう。同窓会の友人たちが結婚っていいわよ子供っていいわよというけれども、古臭い。いつの世界なのかしら。カラーテレビが出始めたころ?恵子も白羽も面白いんだけど相対する世界がつまらなかった。義理の妹はおもしろかったな。恵子が、もっと世界の一員になれるためには子供をもったほうがいいでしょうかと聞く、「勘弁してくださいよ、バイトと無職で子供作ってどうするんですか。ほんとにやめてください。あんたらみたいな遺伝子残さないでください。それが一番人類のためですんで」この義妹は合理的な考え方のできる人だと感心する恵子。どうでもいいと思ってることなんだから質問しなくてもいいのに、という場面。関心ないくせにすりよろうとしてきて嫌われるタイプ(恵子)、コンビニでも誰よりも率先して働くが、やめると告げるとあっさり辞めさせられる。誰よりも一所懸命働いているが協調性がなく独善的なことがわかる、人にとっては大事な人ではないのだ。恵子は見たことないけれど白羽みたいな男は結構いた。女は寄生虫論者。うまく書けてる。社会学的アプローチなのかな。羊と鋼の森は繊細なぼくとやさしい世界だったけどコンビニ人間は埋没する歯車とガラス窓の向こうの世界というところか。世界の一員村の構成員になれば楽だと思うだけでどうでもいいのだ世界と自分との間にはガラス窓があるのだから。コンビニ人間だとわかってからは、「世界」にちょっかいださずにいる気がする。よかったね。
by kumaol
| 2017-09-27 23:03
| 雑記