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本「トリステッサ」ケルアック

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40年以上前に「路上」と「地下街の人々」を読んで、ストーリーの記憶がないがなにかを読んだ気はしていた。
今回のこれもそんな感じで、ストーリーはない。
読み始めから、そうそう、こんな感じだった。ケルアックは。という感じで、
ストーリーはない。
解説とか読むと、ちゃんとあるらしいんだが。
ケルアックの小説は観察だと思っている。
見たまま、聞いたままを書いている。筋を作っていない。
その時の、ある状況を、記録しているだけ。
だから短文である。急に話が飛ぶ。
誰と誰がどういう関係なのかわからない。
関係を表す部分は、「天使」みたいに詩の表現を使っちゃうから、まあ天使というくらいなら恋愛相手なんだろう。
そもそも
ジャンキーを知らないし、考えたこともない。身近にジャンキーはいない。
ジャンキーという言葉だって、彼の小説の中で見るくらいだ。
知らないから、感じることができる。詩的に。
詩的に感じられるものは、かっこいいってことだ。
かっこいいは乗り物である。
ふわふわして快適なものに乗っている気分になる。
乗り物に乗っている気分のまま、読み終わる。
だから、何を読み終わったのか、読み終わったあとしばらくわからない。
だが何かを読み終わったことはわかる。

小説に意味づけするのは無駄なことだと思う。
本を読まない子に読むように勧める必要はない。その子には本は必要ないのだから。
馬の駆け足は逃亡のためであるように私の読書も逃亡だ。
ここではないどこかへ、自分ではないほかの人に、逃亡していく。
考えを言葉に組み立てる訓練は大事だが小説を読む必要はない。
読書感想文を教育として実施していたのは、本を読めないこのためだったんじゃないかと思っている。
私よりさらに25年30年上の人で、女は勉強するな本を読むなと言われていたそうだ。
読書感想文の課題があれば、読ませてもらえない家の子も読むことができる。
そのための、感想文だったんじゃないかなあと。
だって、本の感想文を書く必要なんてあるだろうか。
面白かった。
つまらなかった。
感想は、それでいい。
言葉を分解し解析したり比喩を読み取ったり察したりしてあげなくていい。
感情の正解が一つしかないなんてことはないのだから当てなくていいのだ。

最近は文章がますますリズムのように感じられてきて、
内容も感じるだけになってきている。
読み方は好き勝手でよかったんだ。
斜め読みや飛ばし読み、先に最後を読むとか、最後しか読まないとか。
それでいいと、思っていることが自覚できた。

極端に言うと、人生に意味はないということだ。
とか書いてみたくなる感じ。ケルアック。





by kumaol | 2019-06-20 22:45 | 雑記